震災から10年を経て

2011年3月11日、誰があの大震災を予想したでしょうか。ただならぬ揺れに仕事場から家に帰る。電気も止まっていたので信号も当然止まる。家に帰る、小さな落下物はあるものの異常なし!

しかし、ご高齢で独り暮らしのお客様が気にかかる。そして、安否確認に走る。しかしガソリンも残り少ない。携帯の充電もままならない。宮古出身の独り暮らしの友人を自宅に連れてきて一緒に過ごす。

 

宮古行のバスが走ることになり、とにかく食料品の買い出しに奔走。見送った後・・・はたと気が付く!私はケアの仕事をしているのだからケアに行こう。それから友人の看護師、保険師たちと共に大船渡に(行きのガソリンだけが入っている車で)自己完結するように食料、水、差し上げる衣類などを山のように積んで大船渡へ。みんな必死になったんだ、何かお役に立てないかと。

岩手盛岡癒し空間ソアン ブログ

これが現実なの!?

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たった一人の活動には限りがある。東京の従妹と相談して叔父の精神科医を顧問として、東京、仙台、盛岡、八戸の看護師さんや保健師さん、整体師、その他多くのセラピスト、ピアニスト、復興支援団体と共に手を繋ぎ活動を始めました。大船渡市、大槌町、宮古市、また盛岡に移住している方々の所へと活動は88回。参加ボランティアは延べ356名。

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しかしながら、ボランティアはまだまだ必要とされているものの7年半が経過するころ、私たちの生活にも変化が起き(ボランティアのメンバーの高齢化、結婚、引っ越しなど)活動が困難になり総会で平成30年9月に解散を決定。

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人って、何かできないかと思った時、思わぬ力が湧いて出てくるのですね。パン屋さんでは見ず知らずの方に「わたし漬物つけるのうまいのよ」と聞けば「ください!宮古にもって行きたいの」。とにかく今私が出来ることをしたかった、せねばならないと思いました。お声がかかれば、どんなに遠くても簡単に出来るケアの仕方をお伝えに参りました。お別れの時に皆さんの笑顔を見ることが出来たらそれでホットするのです。田老の仮設コミニティーセンターでの楽健法。

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叔父がかかわっている東京のクッキングハウスの皆さんからは、ユニクロの下着や温かい衣類がびっしり入った大きなダンボール箱が5個も送られてきました。このクッキングハウスの皆さんは「普段自分たちは多くの皆さんのお世話になって生きている。だから今度は自分たちが!」と少ないお小遣いを貯めて送ってくれました。精神科医の叔父と田老観光ホテルへ。

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お店の寝具やシャツを提供してくださった社長さん、これを使ってと沢山ご寄付下さったお医者。東京で資金集めをしてくれた従妹、助成金を頂くにあたり相談に乗ってくださった(申請などは全くの初めてでしたから)大学の先生、宮古市市役所の職員の方々。必要な事や人が次々に寄って来た、そんな気がします。そして1,000円、2,000円と、ご寄付下さった多くの方々、この善意をお届けできたことをこの場でもう一度感謝申し上げます。ありがとうございました。

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多くの車や壊れた建物の中にコスモスが咲いていた。夏はヒマワリの花が空に向かって顔を上げて咲いていた。

今はコロナで移動の自由が奪われましたが、いつかきっと!きっと!また笑顔でお会いいたしましょう。きっとね、きっとですよ。

 

 

 

 

 

 

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